須倍神社由緒



 いまなお深い杜に包まれた神明造りの須倍神社は、蒲神明宮、と並び称される遠州三神明宮のひとつで、天照大御神はじめ多くの神々、日本武尊、神武天皇、菅原道真公、鹿島・香取・熱田神宮同神など70柱の神々をお祀りする大変珍しくまた由緒正しき神明宮です。

別名を寄宮とも称される霊験あらたかな神社ですから、御祈願は当神社一つ処で事足りる。則ち御利益を求めて東奔西走しなくても、当社70柱の神々が御祈願の事をお聞き届け下さるというわけです。
その歴史を簡単に紹介すると。

仁和・延喜年間

須倍神社は延喜式内社で遠江国 引佐郡六座の一つでありまして、人皇58代光孝天皇の御宇、仁和3年(887年)の建宮と伝えられております。


鎮座地都田は伊勢の神宮の御厨として発達した土地でありますから、御祭神は神宮を勧清奉斎したものと思われます。もと内宮は上社として上都田須部の上の山に鎮座し、外宮は下社として下都田中津に鎮座しておりましたが、延喜2年(902年)上社下社の両社を現在地に遷し奉り、神明宮或いは須倍神社と称ようになりました。


慶長・慶安年間

慶長6年徳川家康は伊奈忠次に社領として内宮に四石、外宮に三石を黒印を以て寄進されたのを慶安元年10月24日徳川家光が朱印に改め寄進されました。

明治年間

明治6年3月郷社に列格、同7年5月24日村内の神社69社を外宮に合祀。

明治33年11月征清戦徒紀年碑奉斎

明治40年6月21日神社本庁より幣帛料供進社に指定される。

昭和年間

昭和2年社務所を建築、昭和25年本殿改造、神明造銅葺となし、拝殿の茅葺きを銅葺きに改めた。

昭和55年幣殿渡殿を改修銅葺きとし、更に翌56年手水舎を新築し現在の状態となった。またこの年の7月静岡県神社庁より神社7等級に認証される。

昭和62年(西紀1987年)は建宮以来千百年にあたり境内社の改築、並びに社務所の一部増築を含む修繕を行い5月17日千百年祭を斎行した。

平成年間

平成3年 第2鳥居改築

平成6年 神せん所改築 拝殿床修理

平成10年 本殿堅男木改築







雪の拝殿