宮の杜




22、注連縄(聖俗の結界)


 シメナワと読みます。標縄、示縄、締縄、一五三縄、七五三縄などとも書きます。
 「シメ」は「標」または「占」の意味に通じるもので、古代において占有の印でした。侵してはならぬ境域を画する標識は、縄の他にも、物に何かを結びつけたり、木の枝を土地に刺したり様々であったようです。
 神事においては、稲藁から作られる縄が古来より一般化し、シメナワの語とともに広く行き渡っていました。また、一五三縄・七五三縄と書くのは、縄より垂らす藁(シメノコ)の数またはその藁の節の数に由来するといわれています。
 注連縄は神前、社殿、神域、祭場、鳥居、神輿など神聖な場所、ならびに神事用具などに引き渡しまたは引き廻らします。
 神の居ます場所、降臨される清浄な聖域と俗界とを区切る結界であり、穢、禁忌などの不浄を隔てる標識なのです。
 そのルーツは記紀の神話にさかのぼります。古事記の天の岩戸開きの段で、天照大御神がお出ましになった時に、「尻久米縄を其の御後方(しりえ)に控(ひ)き渡して、此より以内(うち)にな還り入りましそ」と申したとあります。
 現代社会はボーダーレス社会だといわれたりしています。境目がないということです。
 親と子、先生と生徒、先輩と後輩の区別が理解できず、色々な問題が生じる時代となってしまっています。
 人間社会にも心の「注連縄」が必要なのですが・・・。



一月

*宮の杜のもくじへ*

*↑* もくじ *↑*


ご意見、ご感想をお待ちしております。

[メールを送る]