宮の杜




25、参道(神へ至る道)



 一日経ちますと、手足はもちろん顔も体もすっかり汚れます。心の中も、緊張・我慢・葛藤とさまざまなストレスに疲れてしまいます。更に私たちは、生きていくために殺生を繰り返し、数限りない罪穢れを積み重ねて生きています。多くの生命を朝昼夕に食し、いつの間にか地球上の森や川や海を己のためにのみ利用して万物を支配しています。

 これらに対して、私たちはどのようにして償い、清めることができるのでしょう?

 高い山や険しい山道の上に、又何百段もある石段の上にかつて神様は居られました。その後、人々の願いに合わせて次第に平地へ下りてこられましたが、一の鳥居から拝殿まで、長い長い道のりがあったりします。これはなぜでしょう。 一の鳥居をくぐって後、険しい坂道を一歩一歩、石段の一つ一つを上りながら、あなたは日常の自分から身と心の汚れ、罪穢が落ちていくのを感じるはずです。周囲の杜に迎えられ、神気が次第に身を包むのを感じます。この間の一歩一歩は、実はお祓いを受けているのと同じなのです。だから決して急いだり走ったりしてはいけません。
 参道には多くの玉砂利を敷きます。玉砂利は元来川や海にあるものです。つまり私たちは玉砂利を踏みしめながら川や海に身を浸して深く禊ぎをしているのです。一歩一歩自分から罪穢が振り落とされていき、やがて清らかな心となって、拝殿にたどり着くのです。参道は神に参る道なのです。


四月

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